2015年8月2日日曜日

04 マレーシア入国、東海岸をバスで行く

 
スンガイコロクから国境を越え、ランタウパンジャンへ。日差しの強い中、重い荷物を引きずって歩いていくのはなかなか大変ですからバイクタクシーを使いたいところですが、今回の旅行、スーツケースが23キロととても重い!バイクの後ろに自分とこの重たいスーツケースを乗せるのはちょっと危ないなぁ、と思い、歩いて国境の橋を越えました。ランタウパンジャンの郵便局で切手を購入し、コタバルへ向かうバスを待ちます。ランタウパンジャンからコタバルまで路線バスRM 5.10です。途中、警官が乗り込んできてパスポート検査や荷物の検査、コタバル到着間際にはガソリンスタンドで給油もしたので1時間半以上かかりました。

 
コタバルのローカルバスターミナルの隣には各社長距離バスのチケットブースがあります。午前中のバスを選びたかったのですが完売とのことで、14時発のチケットを購入。カウンターの優しいおばちゃんが13時にここにおいで、ほかの乗客と一緒にテスコ横のバスターミナルまで送るから、と言ってくれます。コタバルからトレンガヌ州南端のクママンまで長距離バスRM 35.20でした。バスはご覧のとおりのダブルデッカーで3列シート。2階後部の1人がけ席でゆったりと移動しました。

コタバルを14時に出たバスはクアンタン行き。地図と車窓をみながら自分の乗ったバスがどこを走っているのか確認しながら行きました。途中いくつかのバスターミナルで乗客を乗せ、何人かの乗客は走行中に運転手に降りたい場所を告げ、降りていきます。クアラトレンガヌには17時半頃の到着です。

 
クアラトレンガヌを発車後、ウミガメの産卵で有名だったランタウアバンを過ぎたあたりの道路沿いの食堂でバスは停車しました。ほかの乗客とともに僕も降りて、トイレを済ませて戻ると、運転手が「食事の時間だ」と言います。各自、ご飯をよそい好きなおかずを選び、テーブルに着きますがすぐには食べません。まだラマダン・断食期間中なのです。マレー人乗客に今日の日の入り時間を聞くと19時24分だと教えてくれました。食堂のテレビ放送に合わせ、19時24分みんなで夕食となります。結局、この食堂で1時間弱停車していたことになります。バスは暗くなった中を行き、ペトロナスの大きな施設や工場の夜景を眺めて、クママンに到着したのは21時半。バスを降りたところからすぐのホテルにチェックインしました。窓のない一番安い部屋を選びました。

 

03 タイ深南部を行く

 
早朝、騒がしさに眼が覚めます。隣の区画の寝台にいる敬虔なムスリムのご一行様が朝食の準備とお祈りをしていました。そう、イスラム教徒は断食期間中なので日の昇る前に朝食を済ませるのです。興味深そうに僕が眺めていたら、「一緒に食うか?」とお誘いを受けました。この木の実(名前忘れちゃった)は断食期間中によく食べるんだ、とか、これからヤラーまで乗って行き、親戚一同で過ごすんだ、とかいろいろなお話を聞かせてもらえました。自分もこれからマレーシアに行って、ムスリムの知り合いと断食明けのお祝いを一緒に過ごすんだ、とか話して楽しく食事をしました。しかし、列車は相当なのろのろ運転で遅れているのがはっきりとわかります。

ベッドの解体作業中

 
ハジャイ到着の時点ですでに3時間20分程度遅延していました。時刻表どおりに進んでいればもうヤラーを過ぎるくらいの時間で、ムスリムご一行様が不安げに切符と時計を見つめていたので、「タイ国鉄おなじみの遅延ですよ、ヤラーに着くのは4時間くらい遅れるかもしれません」と伝える。ハジャイ駅停車中に甘いアイスミルクティーを購入。深南部を順調に走り続けて、ヤラーに到着したのは13時でしたから、今日の列車の遅延はかなり大きかった。

駅はフェンスで囲まれている

Tan Yong Mat駅を発車

まもなく列車が到着します

陽気な護衛兵士を乗せて発車

 
景色を眺めている分にはとても平穏な雰囲気ですが、いまだに独立派やテロリストによる火は燻っています。日本の外務省も渡航危険地域に指定したままですし。何の悪もない人たちが犠牲になっているのはほんとうに悲しいことです。ラマダン終了間際で危険度も増すと思っていたのですがなんとか無事に終着駅・スンガイコロクへ到着。ただし、大幅な遅延で15時過ぎに到着となりました。バンコク発が昨日の15時10分でしたから、丸一日2等エアコン寝台車で過ごしたことになります。